日記・コラム・つぶやき

2011年3月22日 (火)

東京にいながら東日本大震災を全く体験しなかった私

3月11日、みなさん大変でしたね。
翌日のテレビで、日本中が大変なことになっているって知りましたよ。

私はその日、目黒区の大学病院にいました。
10日(木)に入院し、順調に回復し予定通り19日(土)に退院したところ。
退院後、一週間ほど自宅静養して、月末の週に仕事に復帰するつもり。

手術のため大地震の記憶がない私の話、しましょうかね。

3月11日(金)、手術の日。
朝から絶飲食で、点滴され、手術着に着替えてTV見ていると、午後1時頃、母と妹が病室に来た。

午後1時30分、手術室に向かう。
手術室につながる専用廊下の前で、「がんばってね」と母妹に激励を受けながら、先生たちと手術室に入る。
麻酔はだんだんと眠くなるのではなく、午後1時40分までは手術室の壁の時計を見て意識を保っていましたが、その後、あっという間に眠りに落ちたらしい。

そして・・・
先生が顔の近くで大声出して、私の名を呼んだ。
「手術終わりましたよ! 今から病室へ戻ります」
手術台からベッドに移され、寝たまま廊下を移動して病室へ連れて行かれた。

病室に戻ったところで時間を確認してみると、夕方6時。
アレ? 手術は2時間くらいで終わるって聞いていたのに、やけに時間かかったな。

すぐに母と妹が看護士さんに呼ばれて、様子を見に来たのだが、ちらっと私を見るなり
「じゃあ、帰るねー、おだいじにね」
もう帰っちゃうんかいsign02
手術中どんなことがあったか何も知らない私は、なんちゅう冷たい身内なのかと思いつつ、ぐったりと横たわる。

夜、点滴を換えに来た看護婦さんに「今日、地震があったんですよ」と聞いた。
でもそれが実際どんな規模のものか、想像も出来ない私は、ふぅん、地震かー、くらいな反応しかできなかった。
さすがに手術したばかりなので、その日はテレビなど見る気力もなく、ひたすら寝た。

しかし病院のベッドは硬かったな。
私は長く横になっていると、腰が痛くなってしまうので、傷の激痛に耐えながらも何度も右に左に寝返りを打った。
あとで看護婦さんに言われたが、手術したばかりなのに、あんなに動き回る人も珍しいと言うことだ。
確か夜中、何度も余震があったな。
はじめは寝たまま自分がめまいを起こしているのかと思った。

さて翌朝6時、起床。
テレビをつけたら、びっくりするような映像ばかりが!
交通機関も復旧せず、帰宅できなかった人たちのニュースを見て、母と妹はどうしたろうと思い、妹の携帯にメールする。
と、妹から「実は昨日帰れなくて、まだ病院にいるんだ」などと返信が・・・!

すぐに病室に来てもらい、昨日、手術中に大きな地震があったこと、そのせいで手術が中断したことなどを聞いた。
以下、妹の体験した地震当時の状況である。

妹と母は私の手術中、病室のある3階の面会室で待機していた。
面会室には他の患者さんのご家族も数人いたそうだ。
地震が起きた時、あまりに大きな揺れで、壁の額とかいろんなものが倒れたり落ちてきたりしないように、みんなで押さえた。
妹の言うことには、その時、窓を見たら電柱の電線が、まるで縄跳びみたいに揺さぶられていたという。

看護士さんが母と妹のところにやってきて、地震のため一時手術は中断しているが、安全を確認して続行する予定であることを伝えられる。
面会室にいた他の家族から、「この地震の中、手術をしていた!?」と同情される。

手術のことを心配しながら、長らく面会室で待ち続けていると、夕方近くになって、主治医の先生が手術室から出てきて、妹たちに手術の経過を話す。
途中、一時間半ほど中断したものの、手術はうまく行ったと聞かされる。

その後、病室に戻った私の顔を見て、安心したので帰ることにするが、病院近くの大通りまで出ると、通りは車の大渋滞、歩道は帰宅を急ぐ大勢の人で埋め尽くされ、あちこちで緊急車両のサイレンが鳴り続けていた。

帰宅を断念して、母と妹は病院の面会室に戻り、そこに泊まった。
面会室の宿泊は病院では禁止されているのだが、看護士さんたちが黙認してくれ、夜には政府から公共施設を帰宅困難者へ開放するようお達しが出たということで、病院で寝具も貸してもらい、おにぎりが配られた。
夜、コンビニに買い出しに出た妹は、病院1階に帰宅困難者の多くが、待合の椅子やソファに休んでいる姿を見かける。

病院って、こういうとき待合室を開放してくれたり、おにぎりまで出してくれるところもあるんだ。
病院に避難するのもいいかもね。

さて、大地震の事実を知った私は、自分のアパートが心配になり、帰りがけ見に行ってもらえるよう母と妹に頼んだよ。
特にバイクが倒れていないか!

妹たちが帰宅の途につき、その間、私はバイクが無事でいることを祈ってた。
倒れるとしたら、車重の軽い400ccか、あるいは盗難防止アラームが付いているのでセンタースタンドで立てている1000ccの方か・・・
妹からメールが来た。

”バイク、倒れている。白い方・・・”

白い方! 去年買ったばかりの1000ccの方かぁ~!!!!shock

妹たちでは倒れたバイクをどうすることも出来ないので、お店が開く時間を待って、YSPに連絡する。
事情を話して、倒れたバイクを起こしておいてもらえるよう懇願した。
すぐに折り返しYSPから携帯に電話がかかってきて、バイクを起こしてきたこと、ざっと見たところ大きな傷などは無いということを連絡してくれた。
礼を言い、後ほど、家族にカギをお店に持って行かせるので、不具合がないかチェックもお願いした。

バイクが倒れているというショッキングなニュースと、とりあえずバイクは起こしてもらえたという安堵感で、直後、血圧が低下。
脂汗が出て、ふら~っとした。
いま思えば、手術が長引いたせいで、予定より3倍も出血したあとなので、ちょっと貧血気味だった。

いやー、手術した翌日だというのに、あの日は電話をかけに病室を離れてよくウロウロしたな。

他に妹からの報告は、アパートの冷蔵庫が開きっぱなしになって中身が散乱、ビンものが割れて台所も汚れている、というものだった。
何しろ入院中なので、なんにもできやしない。
当座、妹たちに任せて、体力の回復に努めました。
といっても、食って寝るくらいしかやることないんだけどね。

職場の人とメールで手術がうまく行ったことを報告した時、当然地震の話題にもなるわけだけど、みなさん5時間歩いて帰ったとか、帰れなかったとか聞いては、「ほーっ」「へーっ」と驚くばかり。
まるで竜宮城から戻った浦島太郎状態だー。

ところで入院したこの病院は、去年まで一年半も私がお見舞いに毎日通ったところでして、携帯電話をかけられる場所に長居していると、顔見知りに大勢会うんだね。
看護婦さんや先生がまだ私のこと覚えていてくれた。
悲しい想い出もあるところだけれど、みなさんに再びお会いして過日のお礼を言う機会が持てて良かった。
「地震の時、手術中だったんですよー」というと、一様に驚いてくれるのでおもしろかった。

術後二日間はあまり具合良くなかったですが、三日目から徐々に調子出てきました。
三日目からやっと普通の食事になったしね。
丸一日絶食していたから、手術翌朝の朝食なんか、飲むものばっかりしかなかったわよ。
重湯の上澄みみたいな、見た目、米のとぎ汁にしか見えないものだとかさ。
高タンパクの飲み物も、ドロッとした不気味な味わいだし。

三日目にぶどうパンと肉巻きフライが出た時には、嬉しかったね。
やっと力が出る気がしてきた。

二日目の夕方、手術でお腹にたまった血を排出する管を抜き、移動にもう血の入った袋を首から下げて歩かなくて良くなった辺りから、身体が楽になったかな。
三日目の朝には、背中の麻酔注入用の管も抜いてもらって、すぐさまシャワー浴びれたし、これでやっと人心地ついたーって感じ。

そのころだったかな、再びYSPから連絡があったのは。
Fazerを引き取って点検したところ、ハンドルがステーから曲がっているのと、シフトペダルも交換せねばならないという。
それは修理してもらわないと困るのでお願いして、その他のダメージの詳細を教えてもらったが、あとはミラーもウィンカーも交換が必要なほどではないとのこと。

退院後、すぐにYSPにお伺いしてバイクを確認したが、スライダーのおかげか、車体に大きな傷は本当になかった。
YSPでも世田谷通りに平行にセンタースタンドで停めていたバイクは、地震の揺れでスタンドが外れたという。
そういやFazerも世田谷通りに平行に駐車してたな。
おまけに部屋家具類も、世田谷通りに平行に置いているのが位置ズレが大きかった。

よく見たら、Fazerの隣りに駐車しているCB400は、サイドスタンドで倒れなかったものの、リアタイヤでシートカバーを踏んでいた。
後ろに下がったんだね。地震、すごい威力だ。
これを自分で直すには、もうしばらく傷が良くなって、お腹に力が入れられないとダメだな。

YSPの人がFazerをアパートに置きに来てくれて、また地震が来て倒れたら困るので、今度はサイドスタンドで駐車してもらった。
私の身体を気遣うお言葉もいただき、大変お世話になりました。
こんな時だからこそ、親切身にしみましたね。

傷の経過はすこぶる良いので、無理はしないけどバイクに乗れる日も近そう。
バイク仲間からもメールとかでいろいろ励ましいただき、元気づけられましたよ。
ほんとうにありがとうね。

退院の日、本来ならゆっくり静養するはずなのが、帰った当日から部屋の片付けに追われた。
私の部屋も何だか物が多かったから、みんな崩れてきて、ゴミ屋敷みたいになっていた。
テレビや冷蔵庫の位置もけっこう動いていた。

とんでもない地震だったんだなと、片付けながら実感した。
入院って、隔離された世界だね。
それがやっとシャバに出て、体験できなかった地震の影響を間接的にだけど感じられるようになった。

とはいえ、夜、のこのこスーパーに買い物に行ったけど、深夜までやってたはずのお店は早じまいしているって知らなかった。
まだどこか緊張感ある社会に乗れてない私。

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2010年10月22日 (金)

彼と彼のバイクの思い出

彼が47才の若さで亡くなりました。
去年4月、脳腫瘍と診断され、二度の手術や放射線、抗がん剤など、治療に専念してきましたが、病気が急速で重かったので治すことはできませんでした。

彼と出会ったのは1986年。もう24年経つんですね。
当時彼はまだ学生で、バイクの部品屋さんで配達のアルバイトをしていて、私の通うバイク屋さんに出入りしてたんですね。

初対面の人ともすぐ仲良くなれる社交的な性格の彼は、バイク屋さんの常連客ともたちまちお友達になり、一緒にツーリングへ行ったりして、程なく私は彼と付き合うことになりました。

彼は旧車・絶版バイクが好きでしたね。

その頃彼は一発試験で限定解除したばかりで、カワサキのW3というその当時ですら10年経過していた中古バイクを乗っていました。
今でこそ22年目のGSX-750Fや、13年目のCB400に抵抗なく乗る私ですが、その頃はまだ私も中型二輪免許を取ったばかりだったので、「そんなに古いバイクに乗りたがるなんて」と驚いたものでした。

Sidecar2 彼の仲間内に、ハンドメイドサイドカーメーカー「バウアー(バゥワー?)」(左サイドにリンクあります)の秋山さんがいたこともあって、やがて彼はBMWのサイドカーに夢中になっていきました。
←これは左側から撮ったサイドカーの写真です。(公塚モータース前1990年3月撮影)

 
秋山さんがサイドカーを自在に乗りこなす姿は、カッコイイのですよ。
それに憧れてたのでしょう。
秋山さんお手製の(私の勘違いです。確認したところ、側車はベンダー製でした)サイドカー付BMWを購入し、高速道路で側車に誰も乗せてない時には、よく秋山さんの真似をして、側車側を持ち上げて加速しておりました。

Sidecarサイドカーに私は良く乗せられましたね。
二輪の免許持っている私としては、側車に乗るのなんて退屈で仕方なかったですけど。

写真の通り、彼のサイドカーは側車が右側に付いていて、高速でチケット受け取ったり支払いするの、全部私の仕事でした。coldsweats01

けど、やっぱりサイドカーは渋滞に巻き込まれるし、デパートの駐車場入場を断られたりとけっこう勝手の悪い乗り物で、そのうち公塚さんの乗っていたヤマハXJ750を譲ってもらったこともあって、サイドカーは、彼の自宅の物干し場を占領して置きっぱなしにされてしまいました。

XJはBMWより盗難とかも気にせず気軽に乗れたので、一時期通勤に使っていたほどです。
そのXJに、ある日不運が・・・
イタズラされ、イグニッションを壊されてしまったのです。
犯人は捕まりましたが、XJは処分することに。

それで今度は置きっぱなしになっていたサイドカーを、側車なしのBMW R75/6と交換してもらって乗っていました。
でも1回くらいしか車検通さなかったかな。
ツーリングはその頃は定期的に行ってたので、何回か近場へ、私のカワサキGPZ400Fと一緒に行ったりしてた筈なのですが、なにせ短い期間しか乗ってなかったものですから、私もそのBMW R75/6の写真持っていませんでした。

どうして折角のBMWを乗らなくなってしまったのかというと、まだ彼は二十代でしたが、C型肝炎という病気になり、その治療に長らくかかったためでした。

具合の悪い時期にはバイクを乗ることができず、つらいインターフェロン治療を終え、普通の生活を営めるくらいの体力に戻すまで、3年はかかったでしょうか。
その間、仕事も失ってしまったので、切れた車検を通すだけの金銭的余裕もなく、第二の趣味である釣りに関心を移していったこともあって、BMWはまたしても家に置き去りにされてしまいました。

結局それ以降、彼がバイクに乗る機会は殆ど無くなってしまいましたが、2006年から私のバイク(スズキGSX-750F)をユーザー車検で通してくれていました。
何年ぶりかで750ccバイクに乗って、鮫洲まで往復した彼は、「たまにバイク乗るのは楽しいなぁ、たまには乗らないとダメだな」と言っておりました。

彼は、私と比べようもなくバイクは上手でしたね。
私が砧の講習会に行き始めた頃、「うまい人は片手運転でコーススラロームやるんだって」と言うと、「なんだそのくらいお前できないのか」と、彼は自信満々に言ってのけましたっけ。
それを証明してもらう機会はありませんでしたが。
その言葉が本当なら、ぜひ見てみたかったな。weep

2009年4月、悪性の脳腫瘍と診断され、手術を受ける前に、所有するBMWのバイクをどうするか話したことがあります。
彼は病気がいつか治ると思っていましたし、十年以上も乗ってなかったBMWですが、やはりよほど好きだったのでしょう。
手放すことをかなり渋っておりました。

BMW R75/6は秋山さんのところできれいに再生されました。
そして、これまでそうだったように、いづれ新しいオーナーの元へ引き取られていくでしょう。

私自身も病気をいろいろしていたので、何となく結婚話が切り出しづらく、だらだらと付き合うだけでおりましたが、もしかして彼も同じ気持ちだったのかもしれません。
でも、彼のご家族の計らいもあって、最期まで家族同様に接することができました。

この一年半、少しでも彼のためにと祈りながら費やしてきた日々が突如終わりを迎え、以前の日常に戻りつつあることに今は戸惑いを覚えています。
自分のこれからのことなど何も考えられませんが、まだ当分私はバイクを乗り続けるでしょうし、彼のお陰で知り合うことのできた公塚モータースに、これからもお世話になることでしょう。

彼には、ご家族や親しかった人たちをいつまでも見守っていて欲しいです。

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2010年9月 4日 (土)

BMW R75(R75/5?じゃなくてR75/6だったけど)

一ヶ月ほど前のことですが、公塚モータースへ遊びに行ったら、そこに見覚えのあるバイク BMW R75 が置いてありました。

それは、去年まで英樹くんが所有していたバイクでした。
英樹くんは去年、突然、脳腫瘍という大変な病気にかかり、たちまち歩くのも困難になってしまい、彼のご両親に頼まれて自宅に置きっぱなしになっていたこのBMWを処分することになりました。

英樹くんはレトロなバイクが大好きで、一時、砲弾型の側車付きBMWを所有していましたが、その後、このR75に乗り換えたのでした。
英樹くんはそれからバイクより釣りに夢中になってしまい、BMWは十年ほども自宅に放置されていたので、公塚さんを通して、彼が買ったところでまたこのバイクを引き取ってもらうことになりました。

かつての英樹くんのバイクは、きれいに再生されていました。
置き場所がないと言うことで、この時、公塚さんが預かってたそうです。
写真でも撮っておけば良かった。
ネットで見てみたら、なんかR75/5っていうのが、似てる感じでした。
(後でちゃんと確認しましたら、R75/6でした!彼が以前所有していたBMWサイドカーの写真でしたら、「彼と彼のバイクの思い出」に載せています。こちらはエンジンだけR75/5。

私が乗ってあげられたら良かったのですけど、私には扱いきれない、というか、維持費がかかりすぎるので仕方ないです。
すっごい古いバイクですが、誰か大事に乗ってくれる人が見つかると良いです。

英樹くんは先月からとうとう寝たきりになってしまいました。
自分の名前も忘れ、記憶もずいぶんと失い、最近は言葉も話さなくなりました。
身体的にも精神的にも苦痛を感じないのと引き替えなので、いっそこの方が本人にとっても良いのだろうと、私も家族もそう納得するしかないです。
私なんかよりも、ずっとずっとバイクが上手な人でしたが、こんな病気になってしまって本当に無念です。

そろそろ時間なので、彼のお見舞いに今日も行かねば。

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2010年6月 5日 (土)

雨戸戸袋の中にいたモノはッ!

えぇ、えぇ、驚きましたよ。
今朝のことです。
私がベランダで洗濯物を干していた時のことです。

なんか身近で変な物音がするんです。
カリカリ、シャカシャカ・・・
爪で何かを引っ掻いているような。

耳を澄ませてみると、どうもベランダの雨戸が収納されている戸袋の中から聞こえてくる。
雨戸を使用したこと無いので、戸袋の中に雨戸はしまわれておりました。

私は怯えましたよ。
何かが戸袋の中にいるのですよ。bearing
ネズミかも知れないし、ヘビかも知れないし、コウモリが入っちゃったのかも知れないし。
私の大っ嫌いなでっかい虫かも知れないし、そういやちょっとまえにアパートの駐輪場でウロウロしているハクビシンも見たことあるし。

ここは東京都世田谷区ですが、いろんなもんがいろいろいますのです。
ネズミやマムシやアオダイショウやコウモリは、厳然と世田谷区内に生息しているのです。
実際、ウチのこのベランダで昔、蜂の巣作られたこともあるし。

Amado








←これがうちのベランダの戸袋です。
気配を消してじっとしていると、その生物がやがて写真の中央部分から、顔を覗かせたのです。







Suzume3






スズメでした。ほっ・・・。clover
でも、ここ、すっごく狭くて、せいぜい2センチくらいしかない隙間なんですよ!
巣でも作ったのでしょうかね。
奥はもしかして少し余裕あるのかも知れませんが、それにしても良くこんな所から出入りできるものです。





Suzume2





こっち向きもできるんだ。
出入りに不自由はあまりないようですね。

良いけど・・・。
洗濯物やベランダ内を汚さないで欲しいな。

 

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